「女として見られない妻」だった私が、もう一度”誰かの特別”になれた理由。

結婚して、子どもが生まれて、毎日慌ただしく過ぎていく。

気づいたときには、私は“妻”でも“女”でもなく、家族を支える存在にすり替わっていました。

「お疲れさま」「子どもの迎えお願い」「今日の夕飯は何?」

気がついたら、夫との会話はこんな事務的なやり取りばかりになっていました。42歳の私と45歳の夫。結婚15年目、小学4年生と年長の子どもを持つ、どこにでもいる夫婦です。

でも、いつからでしょうか。夫が私を「妻」として見ていないことに気づいてしまったのは。

朝は子どもたちの朝食準備とお弁当作り。夫は新聞を読みながら無言で食事を済ませ、「いってきます」の挨拶もそこそこに出勤。私はパートの仕事が週3日あるので、慌ただしく家事を済ませて出かけます。

夜、家族が揃っても、会話の中心は常に子どもたち。夫は子どもたちとは楽しそうに話しますが、私に向ける視線は「家事をしてくれる人」「子どもの世話をしてくれる人」を見る目つき。

最後にスキンシップを取ったのはいつだったでしょうか。手を繋いだり、肩を寄せ合ったり、そんな些細なことすら記憶にありません。私は「妻」ではなく、ただの「母親」や「家政婦」になってしまったのかもしれません。

忘れられない夜があります。子どもたちが寝た後、久しぶりに夫と二人きりの時間ができました。何気ない会話から、昔の話になったとき、夫がぽつりと呟いた言葉。

「君も出産してから変わったよね」

その言葉が胸に刺さりました。確かに、私は変わりました。体型も、考え方も、優先順位も。でも、それは当然のことではないでしょうか。二人の子どもを産み、育て、家庭を支えてきた結果なのに。

「どういう意味?」と聞き返したとき、夫は曖昧に笑って「いや、そういう意味じゃないよ」と話題を変えました。でも、その表情から察することはできました。夫にとって、私はもう「女性」ではなく、ただの「子どもの母親」になってしまったのだと。

その夜、一人で鏡を見つめながら涙が止まりませんでした。確かに、出産前とは違います。お腹周りについた肉、垂れてしまった胸、増えたしわ。でも、それは私が家族のために頑張ってきた証でもあるのに。

その日を境に、私の中で何かが変わりました。鏡を見るたびに、「女として終わってるのかもしれない」という思いが頭をよぎるようになったのです。

出産前は52キロだった体重が、今では60キロ近く。どんなに気をつけても、お腹周りの肉は落ちません。おしゃれも「動きやすさ」「汚れても大丈夫」が基準になり、女性らしさからは程遠い格好ばかり。

美容院に行く時間も惜しくて、髪は伸ばしっぱなし。メイクも最低限のファンデーションとリップだけ。以前は好きだったアクセサリーも、子どもの世話に邪魔だからと身につけなくなりました。

でも、一番つらかったのは、自分で自分を「女として終わった」と思ってしまうことでした。年齢も体型も変わった今の私を、誰が女性として見てくれるというのでしょうか。

鏡を見るたびにため息が出る。自分にがっかりして、自分を責めて。

「女として見られない」のは、私が変わってしまったせいなのかと思っていた。

街を歩いていると、同世代でも素敵な女性がたくさんいます。きれいにメイクして、おしゃれな服を着て、堂々と歩いている女性たち。そんな人を見るたびに、心の中で自分を責める声が響きます。

「昔はもっとキレイだったのに」 「あの頃は夫も私を見てくれていたのに」 「なんで私だけこんなになってしまったんだろう」

Instagram を見ても、同世代の女性たちが生き生きと輝いている投稿ばかり。「42歳でも素敵」「ママでも女性らしく」そんなハッシュタグを見るたびに、自分との差を感じて落ち込んでしまいます。

友人たちとのランチでも、みんなおしゃれで美意識が高い。「最近、新しいエステに通い始めたの」「ヨガを始めて体型が変わった」そんな話題についていけない自分が情けなくて、だんだん友人たちとも疎遠になっていきました。

でも、心のどこかでは強く思っていました。「女として見られたい」「女性として大切にされたい」と。

でも、その気持ちを声に出すことはできませんでした。家事も育児も仕事も頑張っているのに、まだ「女として見られたい」なんて言うのは、わがままなのでしょうか。贅沢な悩みなのでしょうか。

夫に「女として見てほしい」と言ったら、重いと思われるのでしょうか。「そんなこと言われても困る」と言われるのでしょうか。

そんな不安から、どんどん自分の殻に閉じこもるようになりました。「女として見られたい」という気持ちを封印して、ただひたすら「良い母親」「良い妻」でいようと努力しました。

でも、そうすればするほど、心の奥の寂しさは大きくなっていくばかりでした。

そんなある日、ネットで夫たちの本音を特集した記事を見つけました。「妻を女性として見られなくなった理由」という内容で、様々な年代の男性の声が載っていました。

「出産後、妻が子どもにかかりきりになって、夫婦の時間がなくなった」 「家事と育児で疲れている妻を見ていると、女性として見るのが申し訳なく感じる」 「妻も同じように思っているのかと思って、距離を置いてしまった」

その記事を読んで、少し救われた気持ちになりました。夫も私と同じように戸惑っているのかもしれません。お互いに遠慮しあって、どんどん距離ができてしまったのかもしれません。

でも、同時に思いました。このまま何もしなければ、私たちの関係は永遠に変わらないままかもしれない、と。

💬《夫の本音コラム:翔太さん(45歳)》 「責められてるわけじゃない。でも”期待に応えられない自分”がつらくて、無意識に距離をとってた——」

妻のことは今でも大切に思っています。家事も育児も仕事も、本当によく頑張ってくれていて、感謝しています。でも、正直に言うと、「女性として」見る気持ちは薄れてしまいました。

それは妻の体型が変わったからでも、年齢のせいでもありません。お互いに余裕がなくなって、夫婦として向き合う時間がなくなったからだと思います。

妻を女性として見られなくなった自分に対して、申し訳ない気持ちもあります。でも、どうしていいかわからない。今更、昔のような関係に戻れるのでしょうか。

もしかしたら、妻も同じように思っているのかもしれません。でも、お互いに言い出せないまま、時間だけが過ぎていく。そんな状況が続いています。

誰かにときめきたいわけじゃない。

ただ一人の女性として、大切にされたいと思った -それだけだった。

ある日、子どもたちが寝静まった後、一人でリビングにいると、ふと思いました。「誰かに見つめられたい」と。

恋がしたいわけではありません。不倫をしたいわけでもありません。ただ、「女性として見られたい」「誰かの特別な存在でいたい」そんな気持ちが抑えられなくなったのです。

家族にとって私は必要な存在です。でも、それは「母親として」「妻として」必要なのであって、「女性として」必要とされているわけではありません。

誰かに「素敵ですね」と言われたい。誰かに「一緒にいると楽しい」と思われたい。誰かにとって「特別な女性」でいたい。そんな当たり前のことが、今の私には叶わない夢のように感じられました。

そんな思いが強くなったある日、久しぶりに一人で街に出かけました。子どもたちは夫に預けて、美容院に行き、新しい服を買いました。

美容院で髪を切ってもらい、メイクをしてもらうと、鏡の中に久しぶりに「女性らしい自分」が映っていました。美容師さんから「お似合いですね」と言われた瞬間、心がほころびました。

新しい服を試着しているときも、店員さんが「素敵ですね」「お顔立ちがはっきりしていらっしゃるから、この色がよく似合います」と言ってくれました。

それは営業トークかもしれません。でも、「女性として」見られ、「女性として」扱われることで、心の奥にあった何かが少しずつ回復していくのを感じました。

でも、同時に思いました。この気持ちをどうすればいいのか、と。

家族は大切です。夫とは確かに夫婦としての関係は薄れてしまいましたが、家族として一緒に過ごした15年間は偽りではありません。子どもたちの父親として、夫は本当に良い父親です。

だから、家庭を壊すようなことはしたくありません。でも、「女性として見られたい」という気持ちを完全に封印してしまうことも、もうできません。

何か、家庭を守りながらも、自分の気持ちを満たす方法はないのでしょうか。そんなことを考えていたときに、友人から聞いたのがマッチングアプリの存在でした。

「女性として見られたい」という気持ちを、安心して話せる場所があった。

それが、大人のマッチングアプリとの出会いだった。

最初は躊躇しました。マッチングアプリなんて、若い人が使うものだと思っていたし、既婚者が使うなんて不謹慎だと思っていました。

でも、友人から「最近は大人の女性も多いし、みんな同じような悩みを抱えているから、理解してくれる人が多い」と聞いて、少し興味を持ちました。

「秘密が守られる」というのも、大きなポイントでした。現実の世界では、「女性として見られたい」という気持ちを誰にも打ち明けられませんでしたが、アプリの中なら、同じような思いを抱えた人たちと出会えるかもしれません。

思い切ってアプリをダウンロードしたのは、子どもたちが寝静まった夜中のことでした。プロフィールを作るのも、写真を選ぶのも、すべてが新鮮で緊張しました。

プロフィールには正直に書きました。「42歳、既婚、子ども2人。家事と育児で忙しい毎日だけど、女性として見られたいと思っています」と。

最初は「いいね」がつくなんて思っていませんでした。でも、数日後に通知が来て、驚きました。同世代の男性から「いいね」をもらったのです。

その方のプロフィールを見ると、同じように既婚で、同じような悩みを抱えていることが書かれていました。「家族は大切だけど、男性として見られたいと思っています」という言葉に、共感しました。

メッセージのやり取りが始まると、久しぶりに心が躍りました。お互いの境遇を理解しながら、でも一人の人間として向き合ってくれる。そんな関係が新鮮でした。

その方と初めて会ったのは、都内のカフェでした。緊張で手が震えましたが、「お疲れさまでした」と言われた瞬間、自然と笑顔になりました。

「素敵な女性ですね」

その一言で、涙が出そうになりました。何年ぶりに聞いた言葉だったでしょうか。

その後も何度かお会いしましたが、肉体関係を求めるわけでもなく、お互いの話を聞き合う、そんな関係でした。家族の話、仕事の話、趣味の話。夫とは長い間していなかった「大人の会話」でした。

その方からは、いつも「女性として」扱われました。扉を開けてくれたり、椅子を引いてくれたり、「今日もきれいですね」と言ってくれたり。

そんな些細なことですが、私の心を大きく変えてくれました。「私もまだ、女性として見てもらえるんだ」「もう一度、女性として輝けるかもしれない」と思えるようになったのです。

誰かに必要とされたい。

それは決して、わがままなんかじゃないと、今は胸を張って言える。

この体験を通して、私は確信しました。「女として見られたい」という気持ちは、わがままではありません。それは、人間として自然な感情です。

誰かに必要とされること、誰かにとって特別な存在でいること。それは、私たちを強くしてくれます。自信を与えてくれます。

母親として、妻として必要とされることも大切です。でも、それだけでは満たされない部分があっても、おかしなことではありません。

理想を言えば、夫にもう一度「女性として」見てもらいたいです。でも、それがすぐには叶わないとしても、誰かに「女性として」見てもらえることで、心の空虚感は埋まっていきます。

「女でいていい」と思えること。それだけで、日々の生活が変わります。朝、鏡を見るときの気持ちが変わります。服を選ぶときの気持ちが変わります。

家族と過ごす時間も、以前より穏やかになりました。自分の気持ちに余裕ができたからでしょうか。子どもたちにも、夫にも、優しく接することができるようになりました。

もし今、同じような気持ちを抱えているなら、自分を責めないでください。「女として見られたい」と思うことは、決して悪いことではありません。

年齢や体型、出産の経験。それらは確かに私たちを変えます。でも、それは「終わり」を意味するものではありません。新しい魅力の「始まり」かもしれません。

大切なのは、自分自身を諦めないこと。小さな一歩から始めてみてください。新しい服を買う、美容院に行く、友人と会う。そして、勇気があるなら、マッチングアプリも一つの選択肢です。

私の人生は、42歳から変わりました。あなたの人生も、まだこれから変えられます。

あなたは、まだまだ「誰かの特別」になれる素敵な女性です。そのことを、どうか忘れないでください。

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