「ときめきはあった。でも罪悪感もあった」──セカパ体験から見えた”自分の本音”

結婚20年、子育ても一段落し、ふと気づくと「女としての自分」はどこかに置き去りになっていました。家庭は壊したくない。でも、心のどこかで「誰かに求められたい」と思っていたのも事実です。

そんな想いからマッチングアプリを開き、出会ったセカンドパートナーとの関係は、ときめきと癒しをくれた一方で、深い葛藤と罪悪感ももたらしました。

この記事では、実際に関係を持ったからこそ感じた心の揺れや、終わった今だからこそ見えてきた”本音”について綴ります。

夫とは仲が悪いわけではありません。でも、会話は減り、夫から褒められたり、見つめられたりすることもなくなっていました。私は家庭の中で、ただの「便利な存在」になっていたように感じます。いつから、こんなにも「女性」としての自分を見失ってしまったのでしょうか。

気づけば、鏡を見る時間も減っていました。朝は子どもの支度に追われ、夜は家事を片付けて倒れ込むように眠る。「ああ、年を取ったな」と思う日も増えました。

夫からの「ありがとう」は、料理や洗濯に対するもの。子どもからの「ママ大好き」は、母としての私へ向けられたもの。でも、心のどこかで「私は、それだけの存在なんだろうか」という疑問が膨らんでいきました。

誰かに「きれいだね」と言われたい。女性として見てほしい。そんな承認欲求を抱く自分に戸惑いながら、心の奥底にあった「女としての私」が、静かに声を上げ始めていました。

ある夜、夫に話しかけたとき、スマホを見たまま「ふーん」とだけ返されました。その瞬間「ああ、もう私はこの人に何も期待していないんだ」と気づいてしまいました。

怒りではなく、諦めに似た感情。夫を責めるつもりはありません。でも、心が離れていくのを感じながら、私は何もできずにいました。そして、その心の隙間を埋めるように、別の誰かの存在を求める自分がいたのです。

家庭での孤独感が深まるにつれ、心の中で小さな声が大きくなっていきました。「誰かに必要とされたい」「女性として見られたい」──そんな想いを押し殺していたはずなのに、ある夜、その感情が溢れ出してしまいました。

深夜、家族が寝静まった後。「私は、このままでいいんだろうか」と思いました。求めていたのは、ただ「誰かとつながりたい」という純粋な気持ち。自分の話を聞いてほしい、共感してほしい、女性として見てほしい。

夫とのコミュニケーションが減り、友人との会話も表面的なものになっていく中で、私は孤独を感じていました。家庭という場所にいながら、心が置き去りにされているような感覚。その寂しさを埋めるように、誰かとつながることを望んでいました。

指先が震えながらも、マッチングアプリをダウンロードしました。罪悪感はありました。でも、それ以上に「このままじゃいけない」という切実な思いがありました。

自分を見失ったまま、母と妻の役割だけを演じ続けることへの恐怖。このままでは、私という人間が消えてしまう気がしました。「ただ話を聞いてくれる人がいればいい」。そう自分に言い聞かせながら、プロフィールを作成したのです。

最初は「ただ話せる相手がいればいい」と思っていました。でも、マッチングアプリを通じて出会ったセカンドパートナーとのやりとりは、予想以上に私の心を満たしていきました。何気ないメッセージが、こんなにも心に響くなんて。

セカンドパートナーとなる彼からのメッセージは、驚くほど丁寧でした。「今日もお疲れさま」「寒くなってきたね」──そんな他愛のない言葉が、妙に心に沁みました。

久しぶりだったのです。自分の好きなことについて語り合うのは。夫との会話が「明日のゴミ出し」や「子どもの習い事」ばかりになっていたことに、改めて気づかされました。

彼は私の話をよく聞いてくれました。「それ、わかります」という共感の言葉が、どれほど心に染みたことか。自分の存在を誰かが気にかけてくれている。それだけで、胸が温かくなりました。

初めて会ったカフェで、私たちは何時間も話しました。彼も既婚者で、似たような悩みを抱えていました。「家では夫として父として。でも、自分という人間はどこにいるんだろう」。その言葉に、深く共感しました。

セカパの彼と話していると、久しぶりに「私」に戻れた気がしました。母でも妻でもない、一人の女性としての自分。その感覚が、たまらなく心地よかったのです。

心のつながりを求めていたはずが、いつしか関係は変わっていきました。「これは違う」と頭ではわかっていたのに、求められることへの渇望が、私を次のステップへと導いてしまいました。あの夜のことは、今でも鮮明に覚えています。

関係が変わったのは、出会ってから数ヶ月後のこと。彼から誘われたホテル。頭では「これは違う」とわかっていました。でも、求められることへの渇望が、理性を上回りました。

「割り切れる」と思っていました。でも、それは嘘でした。セカンドパートナーの彼に触れられた瞬間、久しぶりに「女性として求められている」という実感が押し寄せてきました。こんなにも、私は枯渇していたんだと気づいたのです。

すべてが終わった後、彼の寝息を聞きながら涙がこぼれました。満たされたはずなのに、心のどこかが空っぽでした。ときめきと罪悪感が同時に存在していて、自分でも整理がつきませんでした。

彼は優しかった。でも、これは一時的なもの。この関係に未来はない。それをわかっていながら、求めてしまった自分がいました。心と身体が一致しない。その矛盾に、私は戸惑っていました。

関係を持ってから、私の中に「もう一人の自分」が生まれました。家庭では笑顔で家族に接する私。セカンドパートナーと会うときの私。二つの顔を持つことで、心は少しずつすり減っていきました。

翌朝、いつも通り家族の朝食を作りながら、昨夜のことを思い出しました。子どもの顔を見た瞬間、胸が締めつけられました。「私は何をしているんだろう」と、自分を責める声が頭の中で響きました。

でも同時に、「あの時間があったから、今日も頑張れる」という気持ちもありました。矛盾した感情が、胸の中で渦巻いていました。二人の自分が存在していた。家庭での私と、彼と会う私。

マッチングアプリで出会った彼との関係は数ヶ月続きました。会うたびに、優しさに包まれました。彼がいなければ、私はもっと早く壊れていたかもしれません。

でも、会うたびに問いかけていました。「これでいいのか」と。幸せと罪悪感の間で揺れ動く日々。誰にも相談できない秘密を抱えながら、笑顔で家族に接する自分。その二重生活に、少しずつ疲れていきました。

セカンドパートナーとの関係を終えて、時間が経ちました。距離を置いたことで、ようやく冷静に自分の気持ちと向き合えるようになりました。あの日々は、私にとって何だったのか。今ならわかる気がします。

最終的に、私は彼との関係を終えました。別れは静かで、でも心の中では嵐のようでした。「夫を裏切った」という罪悪感は、今でも消えません。

けれど、それと同時に、あの時間がなければ今の自分はいなかったとも思っています。誰かに必要とされ、気持ちを受け止めてもらえたこと。それは、あのときの私にとって必要な“救い”でもあったのです。

時間が経って、ようやく見えてきました。私が本当に求めていたのは、身体の関係ではなく「理解されること」だったのだと。

誰かに話を聞いてもらいたい。共感してほしい。一人の人間として認めてほしい。そんなシンプルな欲求が、満たされないまま積み重なっていった結果、私はあの選択をしました。

もし、夫との関係で心が満たされていたら。違う道があったかもしれません。でも、当時の私には、それしか方法が見えなかったのです。

あのセカンドパートナーとの体験を通して学んだのは、自分の気持ちから目を背けてはいけない、ということでした。「母として」「妻として」の役割に埋もれて、自分自身の感情を押し殺し続けた結果、私は大きく道を外れてしまいました。

すべてが正しかったとは思いません。でも、あの時の自分を完全に否定することもできません。なぜなら、あの経験があったからこそ、今の私がいるから。自分の本音と向き合う大切さを、痛いほど学んだから。

今、私は少しずつ夫と向き合おうとしています。自分の気持ちを素直に伝えることから始めようと思いました。「寂しい」と言えること。「話を聞いてほしい」と伝えること。それだけでも、関係は変わるかもしれません。

自分の気持ちに嘘をつかないで生きること。それは時に、苦しい選択を伴います。でも、見て見ぬふりをして、心が壊れてしまう方がもっと怖い。

あなたも、もし今、心の奥底に押し込めている感情があるなら。それを否定せず、まずは認めてあげてほしい。そこから、本当の自分と向き合う道が始まるから。

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