前は当たり前のようにあった夫婦の営みが、いつの間にか当たり前じゃなくなっている…。夫婦の営みが変わってきたと感じた瞬間、多くの人は「問題なのかな」「私が気にしすぎなだけ?」と自分の気持ちを後回しにしてしまいます。
誰かに相談するほど深刻でもない気がするし、かといって、パートナーにそのまま聞く勇気もなく、言葉にできない違和感を抱えていませんか?
この記事では、その違和感を無理に結論づける前に、まず知ってほしい視点を丁寧に整理していきます。
夫婦の営みとは?|悩むのは人によって意味が異なるから

夫婦の営みについて、明確な定義や基準を設けるのは難しいものです。人によって営みに対する捉え方が異なるため、悩むのは当然のことです。
営み=セックスだけではないと感じている人は多い
夫婦の営みを考えるとき、多くの人が戸惑うのは「何をもって“ある・ない”と言うのかわからない」という点です。
わかりやすいのはセックスの回数や有無ですが、営みはそれだけではないと感じている人は多いです。
- 触れ合ったときに感じる安心感
- 「必要とされている」と実感できる感覚
- 言葉にしなくても伝わる、特別な距離感
行為そのものだけでなく、こうしたものすべてを含めて「営み」と感じている人は少なくありません。
だからこそ、夫婦の営みに悩む人は、行為そのものがなくなったことに悩んでいるとは限りません。触れられなくなったこと、求められなくなったと感じること、気持ちが通い合っていないように思えることに、苦しさの正体が隠れていることが多いです。
パートナーと同じ意味で捉えていないことも多い
夫婦の営みについて悩むとき、多くの人が見落としがちなのが、「営みの意味を、夫婦それぞれがどう捉えているか」という視点です。
例えば、一方が「なくても平気。愛情は変わらない」と感じる人であるのに対し、もう一方が「なくなると、気持ちが離れていく気がする」と感じる人であれば、気持ちはズレていきます。
ズレが起きるのは、営みに対する考え方の違いです。性欲を満たす行為と捉えている側にとっては、減ったことにあまり意味を感じない場合があります。一方で、心が通い合っているサイン・夫婦として選ばれている実感として受け取っている側は、安心感の低下を感じやすくなります。

夫婦の営みの悩みは、意味づけのズレから生まれていることが多いのです。
このズレは、話し合わなければ見えにくく、気づいたときには「なんとなく距離ができたあと」になりがちです。
よく聞く「夫婦の営み」に関するリアルな声
ここでは、夫婦の営みに関するリアルな声を紹介します。夫婦それぞれ、営みの変化にも違いがあります。
「嫌いじゃないけど、いつの間にかしなくなった」
最初は、忙しい時期が続いたとか、疲れている日が重なったとか、理由はごく些細なものだったりします。「今日はいいかな」「また今度でいいよね」そのまた今度が、いつの間にか当たり前になっていく夫婦は少なくありません。
特別な拒絶があったわけでも、はっきり断られた記憶があるわけでもない。ただ、誘うタイミングを失い、切り出すのが少し気まずくなって、そのまま時間だけが過ぎてしまうのです。
「今さらどう始めればいいのかわからない」「この関係で、あえて触れ合う意味って何だろう」そのような気持ちが心に浮かぶようになり、自分から動くことを静かにやめてしまった、という声もよく聞きます。
「断られるのが怖くて、自分から何も言えない」
「断られたらどうしよう」「その一言で、もっと距離ができたら怖い」そう思うと、何も言わないほうが楽に思えてしまう人は少なくありません。
はっきり断られた経験があるわけではなくても、なんとなく忙しそうな様子や、疲れていそうな背中を見るだけで、「今じゃないよね」と自分を引き下げてしまう人もたくさんいます。
そしてその配慮が、いつの間にか自分の気持ちを押し込める習慣になってしまうのです。
「言わなければ、傷つかなくて済む」「期待しなければ、落ち込まずにいられる」そうやって心を守っているうちに、誘うこと自体が、自分には許されない行為のように感じてしまうこともあります。
断られるのが怖くて何も言えない状態は、相手への思いやりがないからではありません。むしろ、関係を壊したくない、嫌われたくない、今の距離を失いたくないという必死な気持ちの表れであることが多いのです。
「応じてはいるけど、気持ちは置いてきぼり」
「求められれば、断るほど嫌ではない」「関係を壊したいわけでもない」そうして、拒否する理由が曖昧なまま応じるものの、自分の気持ちはどこか別の場所に置きざりになる人もいます。
「嫌じゃないはずなのに、満たされない」「終わったあと、なぜか虚しさが残る」そんな感覚を抱えながらも、誰にも言えずにいる人は少なくありません。
気持ちが置いてきぼりになる営みが続くと、触れ合うことそのものが、心を切り離す作業のように感じてしまうことがあります。
「このままなくなる気がして、密かに不安」
夫婦の営みが減ったまま戻らない状態が続くと、心の奥でふとした不安が顔を出します。「このまま、もうなくなってしまうんじゃないか」「再開するきっかけは、もう来ないのかもしれない」
誰かに相談するほど切羽詰まっているわけではないけれど、安心できるほど割り切れてもいない。その中途半端な状態が、余計に不安を長引かせてしまうことがあります。
「もし完全になくなったら、自分はどう感じるんだろう?」夫婦としての距離は、今と変わらないのか、それとも、少しずつ違うものに変わっていくのか…。答えの出ない問いを、夜ひとりで考えてしまう人も多いはずです。
この不安は、「したい・したくない」という単純な話ではありません。営みがなくなることそのものよりも、選択の余地がなくなっていく感覚や、関係が固定されてしまう怖さが、心をざわつかせているのです。
夫婦の営みが変わっていく背景にあるもの

新婚時と比べて、夫婦の営みが変わっていくのはどうしてでしょうか?その背景にあるものについて解説していきます。
忙しさと疲れで「余白」がなくなる
営みは、心と体に少しの余裕があるときに生まれるものです。仕事、家事、子育てなど、やるべきことに追われる毎日の中で、誰かを受け入れるエネルギーを保つのは、簡単なことではありません。
夜になれば、話す元気も触れ合う余裕も残っておらず、体はベッドに横たわっていても、頭の中はまだ明日の段取りでいっぱいになりがちです。
そのような状態が続くと、営みは自然と「気持ちが向いたらするもの」から「体力と時間が残っていたら考えるもの」へと変わっていきます。
減ってしまうのは、努力が足りないからではなく、頑張り続けてきた結果とも言えるでしょう。
役割が固定され、異性として見られなくなる
「家族」としての信頼が深まるほど、異性としての緊張感は薄れていきます。気づけば、「パートナー」よりも「同居しているチームメイト」のような関係になっていることも少なくありません。
そのような状態になると、相手に触れること自体に理由やきっかけが必要になってきます。異性として見えにくくなるのは、魅力がなくなったからではありません。むしろ、安心しきった関係だからこそ起きやすい現象です。
ただ、その安心が長く続くと、営みは「自然に始まるもの」ではなく、「特別に意識しないと起きないもの」に変わっていきます。だからこそ、異性として見られなくなったと感じたとき、必要なのは自分や相手を責めることではありません。
気まずさが積み重なり、きっかけを失う
夫婦の営みが減っていく過程で、多くの人が感じ始めるのが、はっきりしない「気まずさ」です。
最初は、ほんの少しの遠慮だったかもしれません。「今日は疲れていそうだから」「今はタイミングじゃない気がする」そうして見送っているうちに、いつの間にか触れないことが普通な空気を作ってしまいます。
期間が空くほど、次にどう始めればいいのか分からなくなり、手を伸ばすことも、声をかけることも、以前よりずっと勇気が必要になります。そしてその勇気をためらっているうちに、「今さら変に思われたらどうしよう」「急に求めたら、驚かれるかもしれない」そんな不安が積み重なってしまうのです。
このように、気まずさは大きな出来事から生まれるものではありません。何も起きなかった時間が長く続くことで、少しずつ育っていくものです。本当は話せばいいだけなのに、時間が経つほどに、言葉は重くなってしまうのです。
「今さら言えない」が一番のブレーキになる
「今さら何を言い出すんだろう」「急に不満があるみたいに思われないかな」そんな考えが頭をよぎり、結局、何も言わない選択をしてしまう人は少なくありません。
特に長い間営みがなかった人ほど、話題に出すことが関係を揺らす行為のように感じられることがあります。それまで保たれていた日常のバランスを、自分が壊してしまうのではないかという怖さが、口を閉ざす一番の理由になります。
また、「今さら言えない」と感じる背景には、自分の気持ちに自信が持てなくなっていることもあります。「本当に必要なのかな」「私が気にしすぎなだけかも」そうやって迷っているうちに、自分の本音を後回しにする癖がついてしまいます。
しかし、言えない時間が長くなるほど、営みの話題はますます触れにくいものになっていきます。むしろ、何も言わずにいることで、自分の中の違和感だけが積み重なっていき、「もっと早く言えばよかった」と感じるようになるのです。
夫婦の営みで多くの人が抱える本音

夫婦の営みに対して、漠然とした不安を感じている人は少なくありません。しかし実際、自分が何に対して不安を抱いているのか理解している人は少ないです。
ここでは、多くの人が抱える本音を紹介します。共感できるものが、あなたが抱える本音に近しいものです。
「私が求めすぎなのかな」という自己否定
人は自分の欲求が大きくなるほどに、「私が求めすぎなのかも」と自己否定をするようになります。特に、相手から拒絶をされたわけでもなく、家庭が崩れているわけでもない場合、「こんなことで不安になる自分はおかしいのかもしれない」と、気持ちを小さくしてしまいがちです。
しかし実際には、求めているのは回数や行為そのものではなく、つながっている実感や安心感であることがほとんどです。それでも、その正体がはっきりしないからこそ、「求めすぎ」という言葉で自分の気持ちを片づけてしまうのです。
特に、相手に不満を向けることに抵抗がある人ほど、「私さえ我慢すればいい」「私が大人になれば丸く収まる」と、自己否定の形で折り合いをつけようとしてしまいます。
「営みがなくなったあとも、夫婦でいられるのか」という不安
夫婦の営みが減っていくと、「触れ合うことがなくなった状態で、自分たちは、これからも夫婦として並んでいけるのだろうか?」という不安が浮かんできます。
営みがなくなることへの不安は、性の問題というより、関係の定義が変わってしまうことへの戸惑いであることが多いです。この不安は、関係を大切にしているからこそ生まれるものです。
しかし、「夫婦って、どこからが夫婦なんだろう」「何があれば、夫婦でいられるんだろう」その答えが見えないまま時間が過ぎると、安心して今を受け入れることも、はっきりと違う道を考えることもできず、宙ぶらりんな感覚が続いてしまいます。
「外に心が向いてしまいそうで怖い」
夫婦の営みに違和感を抱えたまま過ごしていると、「誰かに優しくされたら、心が動いてしまうかもしれない」という気持ちがよぎることがあります。
この気持ちは、裏切りたいと考えているわけでも、家庭を壊したいと思っているわけでもありません。むしろその逆です。今の関係を大切に考えているからこそ、この気持ちに気づいてしまったことが苦しく感じられるのです。
外に心が向きそうになる背景には、自分がひとりの女性として扱われていない感覚が隠れていることが少なくありません。「誰かに必要とされたい」「女性として、異性として、まだ見てもらえる存在でいたい」その欲求は、とても自然なものです。
そう感じてしまう自分を責める必要はありません。
夫婦の営みに違和感を覚えたとき、まず向き合うべき気持ち

ここで大切なのは、「どうするか」ではなく「何を感じているか」を知ることです。相手と向き合う前に、まずは自分の気持ちと向き合う時間を作りましょう。
頻度の問題なのか、気持ちの問題なのか
夫婦の営みに感じる違和感の正体は、頻度の少なさとは限りません。回数が少なくても、触れ合ったときに安心できるのであれば、頻度が少なくても不安を抱きにくいものです。
反対に、回数がそれなりにあっても、義務的に感じたり、気持ちが通っていない感覚があったりするのであれば、頻度の問題ではありません。
回数が欲しいのか、安心感が欲しいのか、ここを切り分けて考えるだけで、気持ちは少し軽くなります。
本当に欲しいのは行為なのかつながりなのか
「したい」という気持ちの奥を丁寧に見ていくと、こんな本音が隠れていることがあります。
- 異性として、まだ見てもらえているか確かめたい
- 自分は必要とされている存在だと感じたい
- 心も体もつながっている安心感がほしい
この場合本当に欲しいのは、快楽ではなくつながっている安心感です。このような気持ちが隠れている人は、行為を通して「愛されている実感」や「夫婦としていられている実感」を感じているのです。
だからこそ、行為がなくなると「愛までなくなったような不安」が膨らんでしまうのです。しかし、本当に欲しいものが行為ではなく「つながり」だと気づくと、見えてくるものが変わります。
- 触れ合いじゃなくても、会話で満たされることがある
- 手をつなぐだけで安心できる日もある
- 大切に扱われている感覚があれば、行為に執着しなくなる
このように行為を通して得たいものは、実は別の形でも満たせるということです。
我慢が当たり前になっていないか
夫婦の営みについて悩んでいる人ほど、実はとても我慢強いことが多いです。
- 相手を責めたくない
- 家庭の空気を壊したくない
- 自分が折れれば丸く収まる
そうやって少しずつ、「言わない」「望まない」「期待しない」選択を重ねていき、気づいたときには我慢している状態そのものが日常になってしまいます。
我慢は、静かに心をすり減らします。我慢を長く続けると、人は不思議と「何が辛いのか」わからなくなっていくものです。
- 本音を口にしたのは、いつ?
- 寂しさを感じたとき、誰にも話さず飲み込んでいないか
- 我慢している自分を、当たり前だと思っていないか
どれか一つでも引っかかるなら、感情を感じないようにすることで、なんとか日常を保っている限界状態にあるかもしれません。
夫婦の営みについて話すのが難しい理由
夫婦の問題の中でも、営みについてパートナーと話すことを避けている人は少なくありません。なぜ営みについて話すのが難しいのか、その理由を見ていきましょう。
傷つけたくない・拒否されたくない
夫婦の営みの話題は、ただの要望や不満とは異なり、相手の価値や自尊心に触れてしまうと感じやすいテーマです。相手を思うからこそ、言葉を選びすぎてしまい、「言わない」ことを選んでしまうのです。
- 忙しいのに、こんな話をしたら負担になるかも
- 自分のせいだと思わせてしまったらどうしよう
- 男性(女性)としての自信をなくさせたくない
長く一緒にいる夫婦ほど、相手の弱い部分や繊細なポイントを知っています。だからこそ、一言で関係が揺らぐかもしれない怖さが先に立ってしまうのです。
- もし話して、はっきり断られたら立ち直れない
- 言わなければ、まだ可能性がある気がする
- 現実を突きつけられるのが怖い
営みの話は、単に「したい・したくない」ではなく、自分が求められている存在かどうかを確かめる行為になりがちです。だからこそ拒否されることは、行為を断られる以上のダメージになり得るのです。
正解がわからない話題だから避けてしまう
夫婦の営みは、「こうすればうまくいく」という正解が存在しない話題です。人は、どう言えばいいかわからない話題は、自然と避けてしまうものです。
- 話したところで、どうなるのかわからない
- 解決できなかったら、気まずさだけが残りそう
- 結論が出ない会話を続ける自信がない
多くの人は無意識に、「話す=何かしらの答えを出すこと」だと考えています。だからこそ、話し始めた瞬間に、迷子になる感覚が怖いのです。
正解がわからないからこそ、自分の感じ方が普通なのか自信がもてず、相手の価値観を否定してしまわないかという不安が先に立ってしまうのです。
「言えば関係が壊れそう」という恐れ
「この一言で、今の関係が崩れてしまうかもしれない」という恐れから、口に出すのを躊躇う人は多いです。なぜなら営みの話が、今まで見ないふりをしてきた問題を一気に表に出してしまう行為のように感じられるからです。
だからこそ、静かに保たれているバランスを壊したくないという気持ちが強くなってしまうのです。しかし、本当に壊れやすいのは沈黙を続けることです。
- 何も言わずに我慢を重ねる
- 気持ちを押し込めたまま時間が過ぎる
- 相手に期待しない自分に慣れてしまう
こうした積み重ねのほうが、じわじわと心の距離を広げることもあります。
夫婦の営みを話題にするときの、やさしい伝え方

話すのが難しくて話題にするのを避けてきた人は、これから紹介する伝え方を参考にしてください。タブー視されやすい営みの話も、伝え方次第で相手を傷つけることなく、あなたの気持ちを伝えられます。
不満ではなく「気持ち」を主語にする
話題に出す時は、「最近寂しく感じることがあって」「自分でも理由ははっきりしないけど、不安になる時がある」というように、自分の気持ちを主語にしてみましょう。
「私はこう感じている」と伝えることで、相手は正解を求められない会話だと感じ、安心して話を聞いてくれます。
夫婦の営みの話がこじれやすいのは、内容そのものよりも、責めているように聞こえてしまうことにあります。「最近、全然してくれないよね」「どうして応じてくれないの?」といった伝え方は、相手には評価や否定として届きやすいです。
すると、相手は説明する前に、身構えてしまいます。相手を否定せずに伝えるには、相手に対する不満ではなく、自分の内側で起きている感情を共有しましょう。
解決策を求めすぎない
夫婦の営みの話を切り出すとき、多くの人が無意識に背負っているのが、「話すからには、何か決めなきゃいけない」「前に進まなきゃいけない」というプレッシャーです。
しかしこの思い込みこそが、会話を苦しくしてしまいます。
- どうすれば頻度が戻るか
- いつ、どのくらいならできるのか
- お互い、何を変えるべきか
このように解決を前提にした会話は、責められている気がしてしんどく感じられてしまいます。話題に出したからといって、答えを出そうとする必要はありません。まずは気持ちを共有するだけでいいのです。
「話したい」より「聞いてほしい」で始める
夫婦の営みの話題は、切り出し方ひとつで、相手の受け取り方が大きく変わります。
例えば、「ちょっと話したいことがあるんだけど」という切り出し方は、「何か言われるのでは」と相手を構えさせてしまうことがあります。
一方で、「今日はただ、聞いてほしいだけなんだけど」という言い方にすると、結論を出さなくていい安心感が、会話の入口をやわらかくします。
不思議と聞いてもらうだけで心が落ち着き、見え方が変わることもあります。話す前は「苦しい」と思っていたのに、話し終えたら「まだ答えは出ていないけど、大丈夫かも」と感じられることも。
年代・状況別|夫婦の営みの距離感が変わるタイミング
年齢や状況によっても、夫婦の営みは変わりやすいものです。ここでは、夫婦の営みの距離感が変わりやすいタイミングをお伝えします。
子育て中|後回しになるのは自然なこと
子育て中に、夫婦の営みが減ったり、気持ちが追いつかなくなったりするのは、決して珍しいことではありません。子育て期は、常に頭も体も「やるべきこと」でいっぱいな状態です。
生活の中心が子どもになるため、二人きりの時間が取れず、会話が事務連絡だけになる夫婦も少なくありません。気づけば、「今日も一日、夫婦の時間はなかった」そんな日が続くこともあるでしょう。今は「生きることで精一杯」な時期と考えてください。
40代以降|心の距離が表に出やすくなる
40代以降になると、夫婦の営みを通して心の距離がはっきり表れやすくなります。生活が落ち着く分、これまで見ないふりができていた感情が、見えやすくなるからです。
「この先も今のままでいいのか」「私はこの関係で、満たされているのか」そんな問いが自然と生まれてきます。営みの有無は、その問いを象徴する一つの要素として、意識にのぼりやすくなります。
この年代では、家族としては問題なく会話もあるけれど、触れ合いはない状態が続きやすい時期です。営みが減ることそのものより、「つながっている感覚が持てない」ことに苦しさを感じるでしょう。
関連記事:アラフォー夫婦の心の距離とセックスレスを乗り越える方法|もう一度ときめきを取り戻すには
長年連れ添った夫婦|形を変えるという選択
長く一緒にいる夫婦ほど、営みの変化に戸惑いを感じやすいものです。なぜなら、「こうあるべき」という過去の夫婦像が、心の中にしっかり残っているからです。
「以前のように求め合えない」「自然に触れ合うことが減った」こうした変化を、終わりと捉えてしまう人は少なくありません。
しかし実際には、関係が壊れたわけではなく、時間とともに形が移ろっただけです。同じ形を続けることが、正解とは限りません。歳月と共に、体も心も環境も役割も変わっていくものです。長く続く関係ほど、変え続ける柔軟さが必要です。
関連記事:夫婦のセックスはいつまで続く?セックスレスの割合と離婚リスク、年齢別の実態とは
夫婦の営みで答えが出ないまま苦しいあなたへ

夫婦の営みについて考え続けているのに、はっきりした答えが出ないと心が苦しくなってしまうでしょう。
- 自分がどうしたいのか、わからない
- 何が正解なのか、決めきれない
- このままでいいのか、判断できない
このような状態が続くと、「自分は優柔不断なのではないか」「いつまで悩んでいるのだろう」と、自分を責めてしまいがちです。しかし、答えが出ないのは、あなたが向き合っていないからではありません。それだけ相手のことを大切に思っている証拠です。
しかし、誰にも言えないまま、ずっと胸の中で反芻している気持ちは、思っている以上に重いものです。一人で抱え続ける必要はありません。
- 友達
- 信頼できる人
- 同じ経験をしたことがある人
- カウンセリング
夫婦関係だけが、あなたの価値を決めるわけではありません。我慢し続けることが、正解とは限りません。誰かに話すことで、「こうあるべき」から「こうしたい」という気持ちが見えてくることもあります。
まとめ|夫婦の営みの悩みは「異常」ではなく、心が出しているサイン
夫婦の営みについて悩むと、「求めすぎなのかな」「我慢できない私はおかしいのかな」と、多くの人が自分を責めてしまいます。しかし、その苦しさは異常でも、わがままでもありません。それは、「大切にされたい」「つながりを感じたい」という心からのサインです。
営みの頻度や形に、正解はありません。夫婦ごとに、人生のステージごとに、心と体の距離は自然と変わっていくものです。心が苦しくなるのは、営みの有無ではなく、気持ちを置き去りにしたまま我慢し続けてしまうことなのかもしれません。
答えを急ぐ必要はありません。まずは、「私は今、何が寂しいんだろう」と自分に問いかけてみてください。あなたの違和感も、迷いも、不安も、すべて「ちゃんと感じている証」。その気持ちを抱えたままでも、夫婦でいる道はあります。












